お正月に揚げる『凧揚げ』は、もとは【タコ】ではなく「〇〇」だった!! | 豆柴

お正月に揚げる『凧揚げ』は、もとは【タコ】ではなく「〇〇」だった!!

こんにちは(⌒∇⌒)

今回は、お正月に揚げる『凧揚げ』は、もとは【タコ】ではなく「〇〇」だった!!について、ご紹介したいと思います。

1.お正月に揚げる『凧揚げ』は、もとは【タコ】ではなく「〇〇」だった!!

凧揚げって、基本的にお正月に揚げて楽しみますよね。でも、なぜ他の季節ではなくお正月なのでしょうか?それに、凧揚げは【タコ】ではなく『〇〇』だったようなのです。

そのお正月に揚げる『凧揚げ』は、もとは【タコ】ではなく「〇〇」だった!!について、ご紹介します。

【凧揚げの起源や語源って、何なの?】

凧揚げは、もともと中国で《軍事目的や占いの道具》として使われていました。

それが平安時代に日本に伝わり、貴族の遊びとして楽しまれ、戦国時代には敵との距離を測ったり、兵器として使われたりもしたそうです。

そして江戸時代になると、一般庶民にも広がり、多くの人に楽しまれるようになりました。

そんな凧揚げの「凧」は、実は中国から伝わってきた漢字ではなく、日本で作られたものです。

鎌倉時代までは、凧には日本語の名前がなかったので、中国で呼ばれていた「紙鳶(しえん)」「紙老鴟(しろうし)」という名前で呼んでいました。

室町時代になると、凧揚げにも日本語名がつくのですが、驚くことに【タコ】ではなく『イカ』だったのです。

凧は菱型なので、その形が海の生き物の『イカ』に似ていることから、「いか」や「いかのぼり」と呼ばれていたそうです。

江戸時代になると【タコ】と呼ばれるようになってきます。しかし、なぜ『イカ』【タコ】になったのでしょうか?

現在では、皆が知っている凧揚げが、当初は【タコ】ではなく『イカ』だったなんて。。。でも、言われてみれば『イカ』のほうがしっくりくる(≧▽≦)

【タコ揚げではなく、イカノボリ???】

室町時代頃から『イカ』『イカノボリ』などと呼ばれていた凧ですが、江戸時代になると一般市民の間でも人気を集めることとなります。

そして、江戸・大阪・京都など多くの場所で凧を揚げるようになりました。

しかし、凧揚げをする人が増えるにつれて、喧嘩や事故が増加・大名行列の中に凧が落ちる・多くの怪我人が出ました。

終いには、亡くなる方まで出てしまったのです。

その為、幕府は1655年(明暦元年)に、

《町中で凧揚げをしてはいけない》

という『イカノボリ禁止令』を出しました。

しかし、凧揚げは町の人たちに非常に人気の高い娯楽だったので、皆はやめたくありません。

そこで、「これはイカではありません。タコです。」と、『イカノボリ』【タコ】と呼ぶようになり、『イカ』【タコ】に変わってしまったようなのです。

因みに、「凧」という漢字を作ったのは江戸(関東)の人たちです。

上方にある大阪・京都に対抗意識を持つ江戸っ子たちが、幕府にも対抗し「イカノボリ禁止」と言われた際に名前を変え、凧揚げを盛んに行ったそうです。

なので、関西地方では明治初期頃まで『イカ』『イカノボリ』という呼び方がされていました。

  • 関西・・・『イカ』
  • 長崎・・・『凧(はた)』
  • 東北・・・『てんぐばた』

など、「凧」の呼び方は地方によって異なります。

よく凧の紐が絡まったと聞きます。。。凧揚げで、喧嘩や事故が増加し、亡くなってしまう人までいたんですね。紐が絡んだりしないように、凧を揚げる時は、離れて楽しみたいですね(>_<)

【お正月に凧揚げをする意味・由来って、何なの?

揚げた高さや滞空時間を競う大会・凧どうしをぶつけたり・絡みつけて糸を切る『けんか凧』という文化が存在する凧揚げ。

そんな凧揚げ、お正月に揚げる意味や由来は何なのでしょうか?諸説あるので、下記にご紹介いたします。

幕府による対策

『イカノボリ禁止令』を出した理由は、庶民の凧が大名行列に突っ込んだり、武家屋敷に入り込んだりすることで事故が多発したことも含まれます。

そこで、幕府は《参勤交代の行列がなく、武士も家にいるお正月なら安全であろう》と、お正月の凧を許可しました。

そして、多くの人がお正月に凧を揚げるようになったことで、お正月に凧を揚げるという風習が定着したのです。

お祝いのため

江戸時代、男の子が生まれた家庭ではお祝いとして、お正月に凧揚げをするようになりました。

お正月の凧揚げには、男の子の健やかな成長・厄除けなどの願いが込められています。

天高く揚がる凧に《子供の成長・将来の躍進》が重なって見えるようです。

立春の季に空に向くは養生の一つ

《立春の頃に空を見上げるのは健康に良い》という意味です。

立春とは2月4日頃、暦の上では春、新しい季節の始まりです。

そこで、《新年(新春)に健康を祈って、凧揚げがされるようになった》という、由来もあるようです。

陰陽五行説

お正月の凧揚げには、陰陽五行説が関係しているともいわれています。。

陰陽五行説によると、《お正月を気持ちよく迎える為には「火」の力を強め、「金」の力を弱める必要がある》とされていました。

凧は「火」の力が強いので、お正月に凧を揚げるようになったようです。

おまじないとして、凧揚げが行われていたのですね。

凧揚げにも、いろいろな説があるんだなあ(^-^)

凧揚げって、縁起ものだったの?

健康や成長を祈ったり、おまじないとしての意味を持ったり、《凧揚げは縁起の良いもの》としても意味もあります。

更には、《凧に願い事を乗せ、天まで届ける》という意味もあり、子供たちにとっても凧揚げは楽しい遊びだけでなく、縁起物として人気を集めていました。

また、「凧」にはいろいろな形のものがありますが、特に縁起が良いとされている形の「凧」は、『扇凧』『ばらもん凧』などです。

扇凧

『扇凧』は、川越を中心とした地域で広く普及した凧です。

江戸時代の終わりから、明治初期にかけて作られ始め、明治時代には1年で2万個も生産されていたそうです。

《末広がりの扇の形が非常に縁起が良い》として、人気を集めていたようです。

ばらもん凧

『ばらもん凧』は、五島列島で作られたもので、「ばらもん」「ばらか」という五島の方言で《活発で元気が良い》《荒々しくて向こう見ず》という意味があります。

『ばらもん凧』の特徴は、絵柄の中に「十字架」が描かれていることです。

隠れキリシタンの島である五島列島ならではの特徴です。

『ばらもん凧』は、男の子の初節句に揚げられていました。

凧上部につけられた「うなり」で独特の唸り声を出し、《子供の厄払いと同時に、成長・出世・家内安全》を祈願しました。

凧によって、揚げる時期が異なっているんですね(^-^)

凧の季語って、冬じゃないの?

『お正月には凧揚げて。。。』という歌もあるように、お正月の風物詩ともいえる凧。

しかし、

『凧』は冬の季語ではないのです!!

正解は、『春』なのです。

小林一茶の有名な俳句に

『凧を抱いた なりですやすや 寝たりけり』

という、ものがあります。

これは《お正月に凧揚げを楽しんで疲れてしまったのか、凧を大事に胸に抱いたまま子供がすやすやと眠っている》という意味の句です。

お正月について詠まれているので「凧の季語は冬?」と思うかもしれませんが、《旧暦の場合、お正月は春》なので、春の季語としての正しい使い方だといえるでしょう。

しかし、新暦ではお正月は冬です。お正月の俳句に「凧」を使うなら、やはり冬のほうがしっくりくるように思いますよね。

現代でも「凧」が春の季語とされているのは、江戸時代の伝統を重視して季節分けされているからです。

また、空高く舞い上がる凧の様子・凧が泳ぐ晴れた空は、厳しい寒さの冬よりも、《のんびりとした春の陽気を連想させるため》だともいわれています。

「凧」が、冬の季語ではなく春なのにはビックリ(@ ̄□ ̄@;)!!しました。でも、優雅に空高く泳いでいる凧は、春のほうがあってますもんね(^-^)

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2.まとめ

【タコ】は、当初は『イカ』だったんですね(≧▽≦)でも、その名前が変わったのが言い訳?ヘリクツ?によって【タコ】になったとは。。。(爆笑!)

現代には、昔ながらのもの・キャラクターものなど、いろいろな種類の「凧」がありますよね。なので自分のお気に入りの「凧」でお正月は、大人も子供も凧揚げをして『縁起物の凧』で幸運を呼び込むのはどうでしょうか。その一年が良い年になることを祈って(^-^)

今回も勉強になりました(^-^)

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