バレンタインデーは何があった日なの? | 豆柴

バレンタインデーは何があった日なの?

こんにちは(⌒∇⌒)

今回は、バレンタインデーは何があった日なの?についてご紹介したいと思います。

1.バレンタインデーは何があった日なの?

毎年のように2月14日のバレンタインデーには、恒例の行事のように本命チョコや義理チョコを配っていました。でも、この日っていったい何があった日なんでしょうか。

そのバレンタインデーは何があった日なの?について、ご紹介します。

【バレンタインとは何のことなの?】

バレンタインデーは、英語で『Saint Valentine’s Day』。訳すと『聖バレンタインの日』となります。

つまり、【バレンタイン】というのは、人の名前なのです。

西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないので困っていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちのもとから去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、結婚を禁止してしまったのです。

ですが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテルニ)のキリスト教司祭であるバレンティヌス(英語読みでバレンタイン)は、かわいそうな兵士をみかねて、内緒で結婚させてしまいました。

そのことが皇帝の知るところとなってしまいました。しかも、当時のローマではキリスト教が迫害されていたのです。

皇帝は、バレンティヌスに罪を認めさせローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンティヌスはそれを拒否したのです。そして投獄されて、ついには西暦269?(270?)年2月14日に処刑されてしまったのです。

バレンティヌスは、何も悪くないのに処刑なんて。。。(>_<)皇帝クラウディウス二世の身勝手さに腹が立つ( `ー´)ノ

【バレンタインデーは、いつ頃から始まったの?】

ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。

毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられて祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて当たった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。そして、翌年また同じように、くじ引きをします。

西暦5世紀になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア際を禁じました。代わりに違った方法の、くじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせて1年間、その聖人の人生にならった生き方をするように励ますものでした。

そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンティヌスを新しい行事の守護聖人としたのです。

次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになりました。

バレンタインデーが出来るまでには、いろいろな出来事があったんですね。  (^-^)

【バレンタイン・カードの始まりはいつ?】

バレンティヌスは、獄中でも恐れずに看守たちに愛を語り続けました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンティヌスと親しくなりました。そして、その彼女のためにバレンティヌスが祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきっかけとなり、バレンティヌスは処刑されてしまうのです。ですが、死ぬ前に『あなたのバレンティヌスより』と署名した手紙を彼女に残したそうです。

そのうち、若い男性が好きな女性に愛の気持ちを綴った手紙を2月14日に出すようになり、これが次第に広まっていきました。

しばらくたつとカードがよく使われるようになり、現在では男女がお互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。バレンティヌスがしたように『あなたのバレンタインより』(From Your Valentine)と書いたり、『私のバレンタインになって』(Be My Valentine)と書いたりすることもあります。現在アメリカでは、クリスマス・カードの次に多く交換されているそうです。

バレンタインデーがあるのは、バレンティヌスがいたからなんですね(≧▽≦)

【バレンタインデーに、なぜチョコをあけるの?】

実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは日本独自の習慣なのです。欧米では、恋人・友達・家族等がお互いにカード・花束・お菓子等を贈ります。

では、チョコレートとバレンタインはどういう関係があるの?っと思いましたよね。1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタインデーの象徴のようになってしまいました。

なんか、業者に振り回されて日本人は。。。(;一_一)

2.まとめ

皇帝クラウディウス二世は、戦争に出たがらない若者たちに結婚を禁止しましたが、そのような事をされた兵士である若者たちは明るい未来を奪われた感はあったでしょうね。でも、それを見かねて内緒で結婚させたバレンティヌスを投獄させるなんて。

処刑になった過程も皇帝クラウディウス二世の、ひがみ根性だったと思う豆柴です。

でも、殉教していた聖バレンティヌスを新しい行事の守護聖人としてくれた教皇ゲラシウス一世のおかげでバレンタインデーが始まったんですもんね。

自分の命を犠牲にして神の愛を伝え実践したバレンティヌス。すごい人ですよね(^-^)

今回も勉強になりました(^-^)

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