ホワイトハウスの色は、もともと”ホワイト”ではなかった?・豊臣秀吉の本当のあだ名は『サル』ではなく。。。! | 豆柴

ホワイトハウスの色は、もともと”ホワイト”ではなかった?・豊臣秀吉の本当のあだ名は『サル』ではなく。。。!

こんにちは(⌒∇⌒)

今回は、ホワイトハウスの色は、もともと”ホワイト”ではなかった?・豊臣秀吉の本当のあだ名は『サル』ではなく。。。!についてご紹介したいと思います。

1.ホワイトハウスの色は、もともと”ホワイト”ではなかった?

皆さんがよくご存じのアメリカ大統領官邸【ホワイトハウス】ですが、実は建設当初は白い外壁ではなかったようなのです。

そのホワイトハウスの色は、もともと”ホワイト”ではなかった?について、ご紹介します。

【大統領官邸が『ホワイトハウス』になった過程】

アメリカ大統領官邸の建設が始まったのは、イギリスから独立してすぐの1792年、大統領が初代ジョージ・ワシントンだった時のことです。その後1800年に完成したのですがワシントンはすでに亡くなっており、初めての大統領官邸に住んだ大統領は第2代のジョン・アダムズでした。

完成した大統領官邸の外壁には石材が使われていて、現在のような白色ではなくグレーの建物だったようです。しかし、イギリスとの米英戦争の最中の1814年、大統領官邸はイギリス軍によって焼き討ちに合い、外壁を残して焼失してしまいます。

えっ!もともと大統領官邸はグレーだったの⁈【ホワイトハウス】の名前の通りホワイトだと思っていたのでビックリ(@ ̄□ ̄@;)!!

【大統領官邸の再建】

米英戦争後、大統領官邸は残った外壁を使って再建されることとなりました。1817年に完成した新しい大統領官邸は、焼け焦げた跡を隠すために外壁が白く塗られていて、その外観から【ホワイトハウス】と呼ばれるようになったのです。

正式に【ワシントン・ホワイトハウス】という名称になったのは、セオドア・ルーズベルト大統領時代の1902年にホワイトハウスが増築されたのがきっかけだそうです。

最初から【ホワイトハウス】という名称ではなかったんだ(^-^)

【大統領が代わるとホワイトハウスの設置物も変わる?】

【ホワイトハウス】には各大統領の趣味や嗜好によって、いろいろな娯楽設備が入れ替わりで設置されているようです。

セオドア・ルーズベルト大統領の時はポーカールーム、ウィルソン大統領やクーリッジ大統領の時はビリヤード台、トランプ大統領の時はゴルフシュミレーターが設置されていたそうです。

大統領って大変そうだけど、住居では自分の趣味に囲まれていて、うらやましい(≧▽≦)でも仕事は相当に大変そうだからプライベートぐらい楽しくないとやってられないですよね(>_<)

2.豊臣秀吉の本当のあだ名は『サル』ではなく。。。!

豊臣秀吉のあだ名った『サル』じゃなかったの?という方、たくさんいると思います。違うみたいなんです。

その豊臣秀吉の本当のあだ名は『サル』ではなく。。。!について、ご紹介します。

〘貧しい身分から大出世までの過程〙

正確な身分もわからないほど貧しい生まれの豊臣秀吉は、母親の再婚相手に虐められ「絶対に偉いサムライになってやる」と13才で家を飛び出し、織田信長の家来となります。

何ももたずに生まれた秀吉は、人の心とチャンスを手に入れる努力をおしみませんでした。ある寒い日、秀吉は懐で温めた草履を信長に差し出しました。信長は、この気づかいに感心して、すぐさま秀吉を気に入ったそうです。

他の家臣たちから『ただの人たらし(ごますりがうまい奴)』と思われようと、秀吉は信長の役に立とうと必死でした10日間で18個もの城を攻め落としたり、味方に裏切られて絶体絶命の信長を戦場から逃がしたりと、死にものぐるいで戦ったのです。自分が偉くなるために。

そして信長が明智光秀に倒される『本能寺の変』が起きます。備中(岡山)にいた秀吉は、驚きなのですが10日間で200キロを走りぬけ、京都で光秀を討ちました。

自分が偉くなるためとはいえ、ここまで出来るってすごい事ですよね(^-^)

〘豊臣秀吉のあだ名は《サル》ではなかった!〙

ドラマや小説等では、秀吉は信長に【サル】というあだ名で呼ばれています。実際、秀吉に会った朝鮮の使者は『サルにそっくり』と書いています。

しかし本当は、信長は【はげねずみ】というさらに酷いあだ名で秀吉を呼んでいました。それは秀吉の妻のねねに送った手紙に書いてあります。秀吉とねねは、当時とてもめずらしく親の反対を押し切って恋愛結婚したラブラブなカップルでした。しかし出世した秀吉は浮気をするようになり、悩んだねねが信長に相談したのです。信長は完全にねねの味方になって、やさしい言葉の詰まった手紙で返事をしています。


秀吉があなたに対して不満を言っているようだが、言語道断である。あのはげねずみが、あなたほど素晴らしい女性をほかで見つけられるはずないのだから、妻らしく堂々として、嫉妬などしないように。この手紙を秀吉にもみせてやりなさい。

信長より


手紙を見せられた秀吉。それでも秀吉の浮気はおさまらなかったのです。信長が死に天下を取ると、なんと信長の姪の茶々を側室にします。

豆柴は、豊臣秀吉の人格はちょっと苦手ですね(;一_一)

 

3.まとめ

【ホワイトハウス】って、もともとの色は、グレーだったという事で、当初から【ホワイトハウス】ではなかったことに驚き‼(≧▽≦)

豊臣秀吉のあだ名は【はげねずみ】だったんですね。少しかわいそうなような。でも、その後の浮気性だったことが分かったので自業自得ですね。ねねが気の毒(;一_一)豆柴も断然、ねねの味方だよ~。

今回も勉強になりました(^-^)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です