こんにちは(⌒∇⌒)
今回は、味覚は四味?五味?・食事回数は、いつの時代から1日3食になったの?についてご紹介したいと思います。
1.味覚は四味?五味?
人間は、舌で味覚を繊細に感じ取り「美味しい」「美味しくない」を判断しています。その味覚は、いくつあるのでしょうか。
その味覚は四味?五味?について、ご紹介します。
【『五味』とは?】
【五味】とは、5つの基本の味の事です。
その基本の味は、『塩味』『甘味』『苦味』『酸味』『うま味』の5つです。
『辛味』『渋味』は味覚ではなく痛覚に近いことが分かっているのです。
『辛味』『渋味』は味覚じゃないんですね(≧▽≦)
【『五味』をうまく組み合わせると『美味しい』と感じる】
砂糖・塩・お酢等を水で薄めて舐めてみても『美味しい』と感じる人はいないのではないでしょうか。
1種類の味だけでは人間の舌は『美味しい』と感じないのです。
味を組み合わせると科学的な効果が生まれるのです。
2種類でも組み合わせてあれば『美味しい』と感じるという事ですね(^-^)
2.食事回数は、いつの時代から1日3食になったの?
現代では、基本的に1日3食が当たり前ですが、これが定着したのは江戸時代・元禄期(1688~1704年)以降の事です。江戸中期になって、さまざまな産業の生産性が高まり、流通が盛んになるまでは1日2食だったのです。
なぜ江戸中期になって、食事の回数が増えたのでしょう。
その食事回数は、いつの時代から1日3食になったの?について、ご紹介します。
〘明暦の大火からの復興〙
もともと公家の世界では、朝食をお昼頃に、夕食を夕方の4時頃にとっていました。また庶民も、朝早くから起きて一仕事終えたあとに朝食を食べて、仕事の合間に遅い昼飯を食べていました。時間帯こそ違っていますが、身分に関係なく同じように2食だったのです。
ところが一説によると、1657年に襲った「明暦の大火」の後、町を復興するために各地から大工・左官屋等の職人たちが集まってきたことにより、食事の回数に変化があったと考えられているようです。
彼らは肉体労働者ですから、当然1日2食ではお腹が減ってしまいます。だからといって都度、食事のために家に帰ってもいられません。そのため江戸のあちこちに屋台や飯屋ができるようになり、外食産業は栄えるようになってきたのです。
また、復興のために働いていた職人に正午過ぎにも食事を出すようになったのがきっかけだったとも言われているようです。
その他の説には、戦国時代に戦いに明け暮れる武士たちが、体力をつけるために食事を1日3食とっていた生活習慣が庶民にも浸透したというのです。それが、だいたい江戸時代の中頃だったようです。
ということで、江戸中期以降には日本人の間で徐々に【1日3食】が当たり前になっていったようです。
江戸前期には、1日2食だったんだ。現在の私と同じ(≧▽≦)
〘菜種油の普及〙
物流がよくなったおかげで照明用の菜種油も広く出回るようになり、起きている時間が長くなったというのも【1日3食】となった一因のようです。
それまで下層階級では「行灯」に魚油を使っていましたが、これがとても臭く部屋もすすけてしまう物でした。とはいえ菜種油を使いたくても、食用になるくらいの上質な物で「菜種油一升で米が二升買える」といわれるほど値段が高かったのです。そのため庶民は買うことができませんでした。
しかし菜種油の値下がりに伴い、庶民も買いやすくなると夜なべ仕事や夜遊びなどもできるようになりました。そうなると当然、寝るのが遅くなり1日に稼働時間も増えるので、1日2食ではもちません。そこで朝・昼・晩と3食とるようになったようです。
菜種油って昔は高価だったんですね。それに、菜種油が庶民にも手に入るようになって夜遊びも増えちゃったんですね(^-^)
3.まとめ
味覚を感じるには、【五味】のうちの1種類だけでは「美味しい」と感じないんですね。少なくとも2種類以上あって「美味しい」と感じる。人間の味覚って不思議だし、味覚を感じさせる【五味】の力もすごいですね(≧▽≦)
江戸前期までは、1日2食だったんですね。でも現代では1日2食だと体が余分な栄養を多く取り入れてしまい太る原因にもなるので、1日3食をバランスよく食べたほうが良いといわれますよね。昔の人は太った人が、あまり居ないのは日本食だったからなのでしょうか(^-^)
今回も勉強になりました(^-^)