こんにちは(⌒∇⌒)
今回は、日本人は、いつ頃から肉を食べるようになった?・乾杯って、もとは毒見だった?について、ご紹介したいと思います。
目次
1.日本人は、いつ頃から肉を食べるようになった?
日本人って、いつ頃から【肉】を食べるようになったのでしょうか?
その日本人は、いつ頃から肉を食べるようになった?について、ご紹介します。
【日本食で米が主食になったのは、いつ頃なの?】
日本人の主食である米。米の稲作は、約3,000年前に中国の長江下流や朝鮮半島南部から日本に渡ってきた人達から伝わりました。日本の気候が稲作に適していることもあり、現在の福岡県や佐賀県に集団でやってきました。
当時の日本人(縄文人)は、気候変動により自然の産物による食料確保が難しくなっていたこともあり、彼らから技術を教わり稲作を始めました。
稲作が日本全国に浸透したのは、約2,400年前頃です。この頃から米が主食となり、ご飯だけでなく、副菜と一緒に食べるスタイルが確立されました。当時の遺跡からは、稲・大麦小麦・大豆などの植物、桃・梅・柿などの果実、猪・鹿などの肉類、タイ・マグロ・貝類などの魚介類が多く出土されています。
【肉食禁止令でビーフやチキンが食べれなかった!!】
西暦75年に当時の天皇が『肉食禁止令』を発布しました。厳密にいうと全ての【肉】が食べれなくなったのではなく、牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べることが禁止されました。その後、約1,200年間、これらの【肉食】を避ける文化が続きました。
そんな禁止令がある中でも、日本食は発展していきました。約1,200年前には、天皇やその親族をもてなした最高ランクの料理が生まれました。それらは、中国に影響を受け、大きな卓に数種類の小皿を乗せたものでした。魚や干物を切って並べ、酢や塩などの調味料を入れた小皿を並べて、好みの味に味付けして食べるという形式です。
約900年前には、仏教の教えに不満を感じていた僧侶が中国で禅宗を学び、彼らが新たに日本で精進料理を伝えました。精進料理は【肉食】を断った植物性の食材で構成され、【肉】に近い味を工夫して再現した料理です。大豆粉・小麦粉・味噌・植物油などのインパクトが強い食材を使用し、味の濃い動物性食材の味に近づけています。料理人は僧侶で、精進という言葉は《修行する》という意味があり、僧侶が修行中に食べた料理になります。
約45年前には、千利休によって茶道が確立されました。戦いに明け暮れた戦国武将が、精神の安定を求めて茶道の文化が広まりました。堅苦しい作法に捉われず、お茶を飲む前に楽しむ料理として、懐石料理と呼ばれる料理が生まれました。
【肉】を食べれない中でも、いろいろ工夫してたんですね(^-^)
【西洋文化が入ってきたことで、肉食文化が始まる!!】
約150年前には、海外からの侵入を防いでいた鎖国政策が廃止され、西洋文化が日本に一気に入ってきました。さらに『肉食禁止令』が廃止されたこともあり、牛鍋(すき焼き)・インド料理のカレー・フランス料理がもととなったコロッケなど【肉食文化】が始まりました。ただし、牛肉はステーキではなく鍋で調理する、インドカレーは日本人に合うようにご飯と合わせてまろやかな味に変化させる、コロッケも日本人の味覚に合うようにジャガイモで作るなど西洋から入ってきた食文化を日本人好みの味に変化させていったことで、現在のバラエティー豊かな日本食へと成長していきました。
西洋から入ってきた料理を、日本人好みにアレンジしたということかあ(^-^)
【世界から日本食が健康的といわれるようになった!!】
1,200年もの間、【肉食】を避ける文化が続いたことがきっかけで、日本食は大豆と米で植物性たんぱく質を、魚で動物性たんぱく質を補給する健康的な食文化が形成されました。その為、現在もなお世界から日本食が健康的であると注目を浴びています。
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2.乾杯って、もとは毒見だった?
【乾杯】の際には、グラスをぶつけます。この【乾杯】、その場を盛り上げる目的だけではないらしいのです。
その乾杯って、もとは毒見だった?について、ご紹介します。
〘乾杯の由来・意味って、どんなの?〙
現在では、おめでたい時などに【乾杯】しますが、昔は現代では考えられないような物騒な理由で【乾杯】をしていたそうです。
《毒が入っていないのかを確認するため》
昔は、なんと毒が入っていないかを確認するためにグラスをぶつけて【乾杯】していたそうです。お酒の席はどうしても気が緩んで警戒心も解けてしまうことから、当時はお酒の席での暗殺が横行しました。そこで、グラスを勢いよく当てることによって飲み物を飛ばし、それをお互い飲むことによって毒が入っていないことを確認し合っていたのです。また、客を招いた主人が、【乾杯】をして客と同時に飲み干すことによって、客に出したお酒に毒が入っていないことを証明する意味合いもあったそうです。
その為、昔は【乾杯】といえば毒見としての意味合いが強く、これが由来となって【乾杯】の時にグラスをぶつけるようになったのです。グラスをぶつけ合ってお酒を飲むこで《あなたを信頼していますよ》という意思表示になりますし、お酒も入れば楽しくなってコミュニケーションも円滑になります。時代が過ぎて毒殺という物騒なことがなくなってくると、それに従って【乾杯】も現在のような楽しい風習やコミュニケーションの一つとして変化していったとされています。
昔は、安心してお酒も飲めなかったってことですよね(;一_一)
〘悪魔払いの儀式だったの?〙
さらに歴史を遡ると、【乾杯】の歴史はもっと古く、宗教的な意味合いから始まったとする説もあります。
現代でも神様にお酒を捧げる文化が残っているように、古代ヨーロッパでは神様に捧げたり、死者を弔う意味でお酒を飲む文化がありました。宗教的な儀式でお酒が振舞われることも多かったそうです。
そして、中世ヨーロッパの時代には、人間を狂わせるお酒には悪魔が宿っていると考えられていました。急性アルコール中毒という診断がなかった当時の人にとって、お酒を飲んだことが原因で死んでしまう人は、悪魔に憑りつかれたと考える人も多かったのかもしれません。その為、お酒をそのまま飲むことは危険と考えるようになり、グラスを合わせて音を立てることで、悪魔を追い払おうと考えたのです。この悪魔払いの意味合いを込めたグラスをぶつける行為が、現代の【乾杯】の由来になったとされています。
〘日本での乾杯は、いつ頃始まったの?〙
日本で【乾杯】が行われるようになったのは、世界の歴史に比べると比較的最近のことです。
1854年(安政1年)に日本はイギリスと『日英和親条約』を結ぶことになり、その後はイギリスのエルギン伯を通じて外交を行うことになりました。その際、日本は外交のスペシャリストである井上清直がその後の条約の交渉窓口などを担当しました。『日英和親条約』の交渉の話し合いが終わった後に晩餐会が開かれたのですが、この席で日本で初めての【乾杯】が行われたとされています。
晩餐会では、エルギン伯から「イギリスでは国王の健康をお祝いして杯を交わす習慣があるのでやりましょう」と【乾杯】の提案がありました。しかし、当時は【乾杯】の文化がなかったことから、井上清直は戸惑いました。ですが、場が静かになったところで急に井上清直が「乾杯!!」と叫んで立ち上がったのです。周囲はあっけにとられてしまったようですが、イギリスの要人たちには大うけだったようです。これが、日本の【乾杯】の始まりとなりました。
日本の【乾杯】の始まりは、面白いエピソードだったんですね(≧▽≦)
3.まとめ
西洋文化が入ってきたことで、【肉食】が始まったんですね。豆柴は、鶏肉が大好きなので、『肉食禁止令』が撤廃されていて心から嬉しい豆柴です。
【乾杯】は、もともと毒見の意味合いで行われていたって、怖いですね。グラスをぶつけて、お互いがそれを飲み干すことで、毒が入っていないことや信頼関係を確かめたってことですが、そんなことでお互いの信頼関係を確かめていたって、どれだけ人間関係が殺伐としていたんでしょうね(;一_一)
今回も勉強になりました(^-^)
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