天国の父へ④です。
天国の父へ③、・怒るときの着火点が短くなり の話の続きです。
・母は、腕の骨を骨折してリハビリ途中でしたが、父はその母に「いつ車に乗れるようになる?」と聞くようになりました。自分が乗れないので、自分の身近にいる母に車の運転をさせようと思ったのでしょう。そうすることで、自分の行動に自由がきくということだと思います。
ただ、母はその時 利き腕を骨折していてリハビリをしている状態です。母も困っていました。
父がどうやっても車に乗れないのだと悟った時点からは車のことは言わなくなりました。時間はかかりましたが、自分の中で納得してはいないけれど無理やりでも納得したのでしょう。
父は、若いころから地図を片手に車でどんな遠い場所でも一人で運転して連れて行ってくれました。車の運転に自信を持っていました。まだ、自分はお前たちに運転では負けないと言っていました。ですので、父から車を取り上げることじたい可哀そうで胸が締め付けられる思いでしたが、万が一 人様に何かあってはいけないと思い心を鬼にする方法しかなかったのです。 ※免許証を取り上げてしまい気力がなくなってしまわないかと、私自身が返納を躊躇していたので、かえって可哀そうなことをしたのかも足れないです。 ※車の運転も私たちから見て危なっかしいところもあったので、これで良かったのだとも思っています。
私の娘(以下、孫)が車の免許を取得して家の車に乗って出かけたときは、帰ってくるまで心配だったのでしょう。家の駐車場へ車を停めるのに苦労をしている間に父が家から歩きづらそうに足を軽く引きずりながら駐車している場所まで来てくれました。ずーっと心配して待っていてくれたんだろうなと涙が出てきました。
そして孫が車の免許を取得したことが、とても嬉しかったんだと思います。数日後、孫の車の助手席に乗って近くまでですがドライブしたときはとっても嬉しかったと思います。
もっと孫の運転する車に乗せてあげたっかたなぁと今更ながら思います。
今現在も高齢の親から免許を返納等すんなりと受け入れてもらえない方も多々見えると思いますが、諦めるのではなく親の幸せの為 心を鬼にしてでも納得させる。納得させられない場合は、強引な方法でも車を運転させない(・車を見えない場所に置いておく ・廃車する)ようにしたいですね。 永い目で見て親の幸せだと思って(⌒∇⌒)
次回は、・物忘れ(認知症)も酷くなりました。 について書いていこうと思います。